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浜名高校 令和5年度3学期始業式に寄せて
元旦の夕方に発生した「能登半島地震」につきましては、大きな被害が出ており、心を痛めるばかりであります。改めて、今あるこの生活が当たり前ではないことを認識するとともに、皆さんの前でこうして話ができることに感謝しつつ3学期に望みたいと思います。
さて、今日は、私が発掘調査をする機関に出向していた30年前の苦い体験談を披露したいと思います。
浜松市の西南部にイオン志都呂店という大規模ショッピングモールがありますが、このもう少し東側に新川という二級河川が流れています。この辺りには「角江遺跡」という弥生時代の大集落がありました。私は、短期間ではありますが、この遺跡の発掘調査に携わりました。
私が調査に当たった頃は、ちょうど当時の川の跡を調査しているところでした。河川の跡なので、川底には流木、廃棄された土器や木器など様々なものが沈んでいました。その中に、たっぷり水分と泥を含んだひときわ大きな木の幹と思しき遺物がありました。動かすのも一苦労で、私は心のどこかで、この木の幹もどきを取り上げて整理する意味を疑問視して、粗略に扱ってしまったように記憶しています。
間もなく、私は他の遺跡の調査に転属となって角江遺跡を離れたのですが、しばらくして一緒に調査に当たっていた職員から、例の遺物を丁寧に整理してみたらただの木の幹ではなく透かしの入った立派な木の臼であることを聞かされました。やがて、この臼は貴重な文化財であることが判明し、新聞の一面に掲載されたり、東京の国立博物館で展示されたりしました。そのうえ、今年度から本校で使用している「日本史探究」の教科書にも掲載されています。
あの頃のことを振り返ると冷や汗が出ます。当時の「知ろうとしない」「観察しようとしない」私の姿勢は、危うく貴重な文化財を闇に葬ってしまうところでした。この事実から、偏見や固定観念による判断が、いかに真実を捻じ曲げてしまうものかを思い知りました。ですから、私は本校の「日本史探究」の教科書を見るたびに「自戒の念」が込み上げてくるのです。
このことは、人間にも当てはまることだと思います。皆さんは自分自身をしっかり観察しているでしょうか。また、他者を偏見なく見ているでしょうか。ましてや風評で判断していることはないでしょうか。そして、「どうせ自分はこんなもの」とか「あの人はこういう奴に決まっている」とか思っていないでしょうか。皆さんは、一人ひとりが個性豊かで貴重な存在であり、様々な可能性を秘めています。自分の偏見や固定観念で勝手にその可能性を葬り去ることなく、しっかり自他のありのままの姿を直視して、自己を磨いて欲しいと思います。