2024.01.18

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茨城・桜川の野村さん 仲間と挑戦 戦禍逃れた「青い目の人形」 平和と友情、語り部に    茨城新聞社2023年6月25日(日)
青い目の人形を背に、語り部活動の練習に取り組む野村享久さん=桜川市友部

太平洋戦争前に米国から贈られた人形を巡る平和や友情の物語を伝えようと、茨城県桜川市の野村享久さん(72)が、仲間と語り部に挑戦している。日本に約1万体贈られた「青い目の人形」と呼ばれるものの一つが、市立羽黒小(同市友部)に現存している。戦時中は敵国の人形として焼かれたり、処分されたりした。野村さんらは28日、同小の児童を前に「青い目の人形」の物語を初披露する。

人形は高さ約40センチ、栗色の髪に淡い水色の瞳。ショーケースに入れられ、現在も同小玄関に飾られている。1927年に米宣教師のシドニー・ギューリックさんから1万2739体が贈られたものの一つ。

日本側は当時、返礼として、子どもが書いた手紙を添えた市松人形58体を贈った。しかし、太平洋戦争(41年)の開戦後は反米感情が高まったため、人形は燃やされたり竹やりで突かれたりして、現存する人形は約340体にとどまる。

野村さんたちが披露する物語は、野村さんが人形を発見してから、日米で人形を贈り合った逸話、反米感情が高まった戦時中の人形の扱い、同小で大切に保管されてきたエピソードを盛り込んだ。

野村さんが人形の存在を知ったのは2013年ごろ。友人の母親が返礼の市松人形に添えた手紙を書いたことを伝えられて関心を抱いた。友人宅に残る資料も確認し、「子どもたちに人形について話したい」と思い立ったという。

野村さんの調査や資料で、同小の人形は約60年前に用務員が当時の宿直室で発見し、15年前には地域住民が洋服を新調していたことが判明。その後、資料に残る手がかりをたどって用務員の親族や服を新調した女性も探し当て、同小で人形が大切に受け継がれてきた経緯を詳細に調べ上げた。

調査で分かった事実を物語にまとめた野村さんは、語り部や腹話術の経験がある知人などと5人でチームを結成。野村さんが語り部に挑戦するのは初めてだ。

物語は「皆さんがいつも見ているこの人形は、お金では買えない価値がある」で始まる。野村さんたちは、語り部の活動を通して、人形にまつわる人の優しさを伝え、「平和を考えるきっかけにしてほしい」と願っている。

■識者「教育の題材に」

現存する「青い目の人形」について、帝塚山大学法学部の末吉洋文教授(平和学)は「これから新たに見つかって増える可能性もある」と話す。現在見つかっている約340体のうち、北海道室蘭市と千葉県山武市の2体は市文化財の指定を受けている。末吉教授は「保存は学校任せになっていることが多いが、長期的に残すには費用やノウハウが必要」と文化財指定の意義を語った。

また、人形を贈った米国人宣教師の孫、シドニー・ギューリック3世さんは祖父の意志を継承。日本全国の学校に新たな人形を届けたり、現存する人形に会いに行ったりする活動を続けている。

末吉教授は「人形の歴史をたどれば、日米が戦争に至った経緯を学ぶことができる。平和教育の一つの題材としてもっと注目されてほしい」と訴えた。

過去の記事「https://hamanakoko.hamazo.tv/e9374825.html」