2023.12.31

浜名高校 学校長 2学期終業式に寄せて


 先日、放映中の映画「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」を観に行きました。この場でネタばらしをすることは避けますが、若い人達が戦争に関心をもってもらえることはありがたいことだと思いますし、劇中で今の高校生が特攻隊のことを率直にどう思っているのかも垣間見えてよかったです。そこで、今日は「浜松と太平洋戦争」について紹介してみたいと思います。

 浜松は、明治の末年から昭和の初年にかけて積極的に軍隊を誘致していました。その結果、現在の静岡大学浜松キャンパスや和地山公園の辺りには「陸軍歩兵67連隊」、現在の本田技研浜松工場及び航空自衛隊浜松基地付近には「陸軍飛行34連隊」並びに「陸軍飛行学校」が置かれ、軍都となっていました。この場では、太平洋戦争で日本の敗色が濃くなった昭和19年(1944)以降、この浜松で何が起きていたのかを中心に皆さんにお伝えしたいと考えています。

 まずは特攻隊です。この人命を無視した作戦の、陸軍におけるほぼ最初の部隊は、この浜松で編成されました。すなわち陸軍飛行学校の教官を隊長に「富嶽隊」という部隊が結成され、フィリピンへ出撃していきました。以降、多くの部隊が当地で編成されたり、戦地に出撃したりしました。また、舘山寺温泉街では、舘山寺山下にある旅館を軍が接収して研究施設としました。ここで研究開発を進められていたのは、現在のトマホークミサイルのような兵器で、通称「丸ケ」と呼ばれていました。さらに、台地上には「三方原教導飛行団」と呼称する部隊が置かれました。ここでは毒ガスの研究を行っていました。こうした兵器は、来るべき「本土決戦」に向けた準備として行われていましたが、いずれも人としての倫理観を疑う所業だったと個人的には考えています。

 戦争は誰も幸せにしません。今の皆さんの生活も平和でなければ成立しないのです。この世界を見渡せば、いまもあちこちで戦争や紛争が起き、皆さんと同じ世代の人たちの学ぶ権利や一度しかない青春時代が侵害されています。ですから、来年こそ1日でも早く誰もが平和に暮らせる日が来ることを祈ります。

左:飛行学校旧本部庁舎(空自浜松基地内)中:34連隊旧将校集会所(本田技研内)右:トーチカ跡(半田山)