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浜名高校 創立110周年記念式典に寄せて
本校は、本年4月に創立110年を迎え、10月28日(金)に記念式典を挙行しました。この折の式辞の中から、浜名高校誕生までの草創期の歴史について触れた部分を抜粋して紹介します。
雨は蕭々と降ってゐる 雨は降ってゐる 馬は艸をたべてゐる
今も校長室に掲げられている三好達治氏が本校へ送った色紙に書かれた「大阿蘇」の一節です。我が校は、彼の詩人が作詞した校歌を糧に歴史を重ね、本年4月に創立110年を迎えました。
明治五年(1872)、国は「邑ニ不学ノ戸ナク、家ニ不学ノ人ナカラシメン事ヲ期」して「学制」を公布し、近代国家の教育の在り方として小学校教育の普及とともに産業教育や女子教育の重要性を示しました。この時代、「女性に学問はいらない」といった封建的な風潮があるなか、現在の浜北区では、「学制」公布の翌年に横田保によって「女子教育趣意書」が上梓され、女学校も設立されました。当趣意書には、読み・書き・算盤の定着に止まらず、実学や読書の奨励、家政学の必要性を説き、その影響によるものなのか、当地方の女子の就学率は国内でも高い水準にありました。
このような地域の特色を背景に、当地方における女子の高等教育機関設立の機運が高まり、大正2年(1913)、平野千代平ほか三氏が発起人となって、本校の前身である「北浜裁縫女塾」が浜北区貴布祢の地(現在の浜北文化センター)に開校しました。そして、「高等女学校令」の改正を受けて、翌年には「北浜実科女学校」、大正8年(1919)には「北浜実科高等女学校」として学校の充実が図られました。
地元有志の手による私立学校としてスタートした本校は、昭和初年になると地域から県立学校へ移管する動きが活発になりました。地域住民によるこうした運動は、アジア・太平洋戦争を挟んで10有余年に及び、「北浜高等女学校」への改称を経て、昭和22年(1947)「笠井高等女学校」と合併する形で悲願の県立移管を果たしました。学校名には、当時の浜名郡下で初めての県立学校が設置された郡内の人々の喜びと、当地域における教育発展の期待感から、郡名を冠する「県立浜名高等女学校」が選ばれたと愚考しています。そして、翌23年(1948)には、学制改革によって男女共学となり、「県立浜名高等学校」が誕生したのです。
北浜裁縫女塾(左)と浜名高校貴布祢校舎(右)