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浜名高校 定時制 生活体験文
自分なりの努力
静岡県立浜名高等学校定時制
3年 タルマンタック 春華
(アルバイト 18 歳)
私には、将来の夢やなりたい自分といった明確な「目指すもの」がありま
せん。
私は幼い頃から歌と絵が好きで、家族や友達にもよく褒められていました。
自分の好きなことを皆に褒められてもらえたのが嬉しかったので、自分が好
きなことを仕事にして、皆を笑顔にしたいと思っていました。そのため、当
時は「面白い漫画家」や「いろんな絵が描ける人」のような「目指すもの」
がありました。自分も周りも楽しくできるような人になりたいという夢があ
った当時の私は、歌も絵ももっと上手になろうとしていました。小学校にあ
がってからも、暇さえあれば友達と合唱したり、休み時間もひたすらいろん
な絵を描いたりしていました。先生や友達、家族にそれらを見せ、もらった
感想や反応を参考にして、さらに練習をし、好きなことを本気で極めようと
努力を続けていました。
しかし、小学三年生くらいの時に延々と絵を描いていた私に対して先生が
「好きなことを頑張るのはいいけど、もう少し勉強にもその集中力を向けた
らどうなの?」と苦笑いで言いました。近くにいたクラスメイトも先生に共
感したようで、「苦手な教科の勉強しなよ。」とか「絵が上手くても意味ない
よ。」と言われました。先生たちの言うことは間違っていないし、実際に好
きなことに費やしている時間が長いと思った私は、休み時間や家で趣味に使
っていた時間をできるだけ勉強に充てるようにしました。これまでは努力を
否定されたことがなく、自分の頑張りを無駄と思ったこともなかったので、
先生たちの言葉は少し冷たく感じました。それでも悪気はないのだろうと考
え、勉強にも力を入れるようになりました。
しかし、以前より勉強を頑張るようになっても、周りの人はさらにその上
を求めるようになりました。苦手を克服しても、「それぐらいはちょっと頑
張れば誰でもできるよ。」と言われ、テストで前より高い点数が取れても「少
し勉強してこれなら、もっとやれるでしょ。」と軽くあしらわれてしまいま
した。高学年になってからは、母もより良い成績を求めてくるようになり、
「これだけ勉強できるのも今だけだよ、しっかりやりなさい。」と言うこと
が増えました。
私は、「大変だな」「面倒だな」と思うことはあっても、頑張ったことを後
悔したことはないし、人からの評価を得るためだけに努力してきたわけでは
ありません。しかし、自分なりに頑張って出した結果を認めてもらえず、「も
っとできる」「お前じゃなくてもできる」とばかり言われ続けるのは想像以
上に辛いことでした。そういった状況が続いた私は、次第に「どんなに努力
しても結局意味はないのかもしれない。勉強も趣味も、これ以上上達したと
ころで私の夢は叶えられないかもしれない。」と考えるようになりました。
それでも、今まで積み上げてきたものを手放してしまうのが嫌で、小学校を
卒業しても夢に向けて努力をすることだけはやめないでいたいと思ってい
ました。
その気持ちも、中学校にあがってすぐに冷めてしまいました。小学校卒業
と同時に少し遠い場所に引っ越したことで、知り合いすら一人もいない学校
に通うことになってしまいました。すでに人間関係ができあがっている空間
に馴染むことができずに孤立してしまい、それがストレスとなり少しずつ塞
ぎこむようになってしまいました。そして、その時に担任に言われた「ここ
で頑張れないなら、他のことももう頑張れないよ。」という言葉で、「まだや
れる」とどうにか諦めずにいようとした気持ちは、完全に折れてしまいまし
た。今思えば、休み時間や家に帰って絵を描いていても「楽しい」と感じら
れず、音楽の授業で歌を褒められてもなんとも思わなくなっていたので、担
任の言葉がなくても心が折れるのは時間の問題だったでしょう。しかし、担
任から「他のことも頑張れない」と言われたことが本当に辛く、必死に夢を
かなえようとしていた自分がばからしくなったことに変わりはありません。
そして、担任の言葉通りこんなことで頑張れなくなる私では、もう何も続け
られないと思ってしまい、夢に向けて努力することをやめてしまいました。
結局、心から信頼できる友達の一人も作れず、困ったときに相談できる先
生に出会うこともないまま中学を卒業しました。経済的な事情から定時制高
校への進学を考えていた私は、姉も通っていた浜名高校への入学を決めまし
た。
昼に仕事をして、夜に学校へ行くという生活が大変であろうことは想像で
きたし、入れ替わりで卒業する姉から学校の様子も聞いていたので、「多分
ここでも大して楽しくない時間を過ごすんだろうな」と内心思っていました。
しかし、浜名高校に通い始めてすぐ私の生活は一変しました。小学生の時
は会う機会も少なく、大して話したこともなかった同級生と再会したり、中
学一年生の時に一度話したきりの子と、思わぬ話題で盛り上がったり、初対
面でも気が合ってよく話せる子と出会えたりと、皆で集まって話しているう
ちにいつの間にか「いつもの四人組」ができあがっていました。あまり話す
機会はないだろうと思っていた先生方は、先入観で話しをせず生徒一人一人
と真剣に向き合ってくれる人たちばかりでした。誇張しているように聞こえ
るかもしれませんが、少なくとも私が出会ってきた大人たちの中では一番信
用できる大人たちだと感じています。
高校生活で何より救いだったのは、「程よく他人に無関心な生徒が多い」
ということです。無責任に人の頑張りをばかにする人もいませんし、先生や
親に言われてわざわざ「仲良く」しようとする人もいませんでした。「今日
はこんなことがあって、こんなことをやって、一日頑張ったんだよ。」と話
しても、「そんなことで..」とか「じゃあより良く..」と言わず、先生も友達
も素直に褒めてくれました。もうやめたい、逃げたい、と思った時も、一緒
に頑張ろうと言って奮い立たせてくれる人がいたおかげで、途中で投げ出さ
ずにやりきることができました。
高校でいろいろな人に出会い、ちゃんと自分を評価してもらえるようにな
ったことで、少しだけ「まだやれるかもしれない」と思えるようになりまし
た。今から夢を叶えようと動いても、少し遅いのかなとは思います。しかし、
好きなことを素直に楽しめるようになれて、一緒にいて安心できる友達にも
出会い、信頼できる人が周りにいるという環境でなら、私はこれまでとは違
い、自分の頑張りに価値があると考えることができると思います。
私はもう幼い頃のように、純粋になりたい自分を目指すことはできないと
思います。すごくやりたいことがなければ、就きたい職業もなく、「目指す
もの」のない人生を今も歩み続けています。ただ、小さな目標といいますか、
これだけは大事にしたいと思えるものができました。それは、こんな私でも
「生きてるだけでえらい」と言ってくれる、かけがえのない友達の存在です。
彼女たちと少しでも長く一緒にいるために、楽しむことは全力で楽しみ、何
事もすぐに諦めたりせず、「自分なりに」頑張って生きていきたいです