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浜名高校 同窓会 ブログ開設10周年
10年前の2011年8月10日に開設された浜名高校同窓会ブログも
今年ブログ開設10年となりました。総記事数2700件、実に538,200 pv(プレヴュー)戴きました。
浜名高校創立100周年を迎える1年前と云うタイミングでした。
また、飛躍周年記念大同窓会(27・28・29回生幹事)の広報も兼ねたものでした。
残念がら2015年の第10回大同窓会には活用されず、3年間の休止状態となりました。
いよいよ来年は浜名高校創立110周年を迎えます。コロナ禍延期となった第12回大同窓会も開催されます。
10年前の初投稿記事を振り返ってみましょう。
28回生 平松秀介「過去・現在・未来」
浜名高校大同窓会事務局では、さまざまな卒業生に「浜名高校」
時代を語っていただく寄稿をお願いしています。
第1回は28回生の平松秀介さんです。
あの頃の笑顔は、今もあるだろうか 熱き思い出、スポーツにうちこみ、クラスでは片思いの子に胸をときめかせ、将来はどうなるだろうかと不安な毎日。今思えば、あの頃が一番輝いていたかもしれない。でも、あの頃の友の顔を思い出せば昨日のことのように歯車が逆転していく久しぶりに、高校時代の卒業アルバムを開いてみると、そこには35年前の友の顔があった。編集後記に、過去、現在、未来という言葉を使っていた自分の姿があった。何とか学年間のコミニケーションをはかろうと「あいさつ運動」をすすめ、校門の前に立ち登校してくるみんなに声をかけていた。おはようの声に、大きな声でかえしてくれる後輩もいれば、恥ずかしそうに下を向いて通りすぎる女子もいた。サッカーグランドからは、大声で激をとばす選手の声。汗がしたたるのがめに見えるようだ。花壇をつくろうと、放課後各学年ごとに、土を運んだ一輪車の感触が今も手に残っている。体育の授業を、体育館で女子と一緒に行う機会があった時は、カッコつけてはりきっていた。ひとつひとつの出来事が、短編小説のようによみがえってくる。
現在私は今、痴呆症の介護現場にたっている。自分の子供や家族の顔も忘れ、ベッド上で鼻から栄養をとりつづけ、その日を生き続けている利用者の一人。早く死にたいけど、なかなか迎えが来ないわねと独語のようにつぶやく90歳すぎの利用者。
「また明日ね」と明るくあいさつをかわした利用者も、次の日朝出勤してみると姿が見えない。「明け方に亡くなったわよ」と夜勤のナースから申し送り。入所した頃は、笑いながら歩きまわっていた女性も、いつしか食堂に姿を見せなくなり、ベッドの上でのオムツ生活。
毎日が葛藤に悩まされ、もう一日もう一日と自分に言い聞かせ、気がつけば知的障害者の指導員を辞めてから10年の歳月が過ぎていた。
あなたは人生をどう生きていますかと問いかけられたら、何を答えられるだろうか。高校時代ホームルームの時間に、将来は何になるかと聞かれた時、福祉の道に進むよと言った。でも20代は希望をもって入社した会社も、社長が失踪し倒産。暴力団の取立てというTVドラマさながらの経験。そんな時でも、ささえてくれた女性が愛すべき妻となり、仲間と会社をつくった時は長女の出産にも行けず、妻の両親からきつく怒られた。今では、4人の子供も社会人になり、お酒を飲みかわす頃になっていた。
話は再び現在に戻るが、老人介護の道にすすんでいる今、高校時代のおもいがつづけられることは幸せなのかもしれない。
今の仕事が好きだからと、高校時代の友に言える自分でいつまでもいたい。