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活躍:松浦拓弥選手
サッカーJ1・横浜FCのMF松浦拓弥選手(31)=浜松市出身=が八月末、友人の水野翔介さん(32)と共に、同市にアパレル会社を設立し、アパレルブランド「Percer(ペルシー)」の販売を開始した。松浦選手は「自分が現役を引退した後の仕事にできればいいと思って決断した」と話している。 (川住貴)
松浦選手は浜名高から二〇〇七年に、当時、J1のジュビロ磐田に入団。身長一六七センチと小柄だが、切れのあるドリブルを持ち味に、二年目から頭角を現した。長年の間、磐田で活躍した後、さらなる成長を求めて一九年、横浜FCに完全移籍。今季は、主力選手としてプレーしている。しかし、いつも頭をもたげてきたのは、引退した後の職業のこと。「十四年間、サッカーしかしてこなかった。この後、どうするのか」
水野さんは松浦選手と小学生からの付き合いで、自身も大学までサッカーを続けてプロ選手を目指していた。二人とも服が好きで、水野さんの勧めもあって、一緒にブランドを立ち上げることを決めた。四月に二人の共同出資でアパレル会社を設立した。
ブランド名はペルシー。フランス語で「突き刺す」を意味する。松浦選手は「僕的には、限界を突破する気持ちを込めた」という。二人で商品展開とデザインを考案し、現在、Tシャツ三種類を販売している。価格は九千九百円から一万一千円(いずれも税込み)。今後はパーカなど、定期的に新作を出していき、男女ともに着ることができるデザインの服を販売する予定。売れ行きは好調で、一年で一千万円の売り上げを見込んでいる。内容はインターネットから「Percer online」へ。
Jリーグは一九九三年に、十クラブで始まったが、その後、J2、J3とつくられ、現在は全部で五十八クラブ、約千六百人が在籍している。体力の消耗も激しいため、引退者の多くは二十代後半から三十代前半。問題は、引退後の職業がなかなか見つからないこと。Jリーグは下部組織も含め、コーチは飽和状態。サッカー解説の仕事も、急には回ってこない。引退者は、その後の職業を探すのに苦労しているのが現実だ。
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