2019.09.19

生活体験文 定時制 1年 五明 丈瑠さん


「未見の我」

静岡県立浜名高等学校定時制 1年 五明 丈瑠 (無職 15 歳)

校門の、桜の花が、あわく、咲きはじめた、そんな春の日、浜名高校定 時制の一員になれた。中学校では柔道部で行き詰まり、同時に不登校が始 まった。勉強は苦手だ。入学できた喜びも半分、明るい見通しを持てない でいた。しかし、「パソコンを早く打ちたい」と目標を持てたことをきっ かけに、中学時代に、「オール1」だった僕の成績は、クラスで1位にな った。 そんなこんなで、2ヶ月が過ぎようとしていた頃、学校で講演会があっ た。その内容に、心を揺さぶられた。まず、衝撃だったのは、講師の先生 のこの一言である。 「私も、会社で失敗して、億単位で損失を出したんです。」 (えっ?億単位の損失?)僕は驚いた。 「あの孫正義さんも、幾つも会社を始めたが、成功した仕事は少ない。 それでもあんな大金持ちになったんだよ。」 そんな話に比べてみたら、僕の躓きなんて、小さなことに過ぎないじゃ ないか。「何を萎縮してるんだ。」自分を叱った。そして「希望を持って 生きろ」と言い聞かせた。何より重要なのは、「過去に失敗しても、チャ レンジャーでいる限り、大きな成功も成せるんだ」と教えられたことだ。 それから、講師の先生は「やり続ければ変わることができる」とおっし ゃった。心の中で、言の葉がぐんぐんと広がっていった。「まだ高校一年 生だ。何でもできる。まずは小さな目標に向かって頑張ってみるか。」そ して、ひらめいた。「痩せられないか」と。その日から、運動を始めた。 「ダイエットなんて」と笑われるかもしれないが、一事が万事である。要 は、継続できるかである。 僕はこの講演を境に、別人のようにポジティブになれた。それは、講師 の先生が講演の最後におっしゃった、まさに「一期一会」の出会いのおか げである。講演には、この春、卒業したフィリピン籍の先輩が同席した。 先輩は講師の方が経営される会社で、正規社員として、母国と日本を結ぶ 貿易の仕事に就いている。先輩は日本語が得意でなく、進路先が、なかな か決まらなかったそうだ。だが、講師の先生は、逆転の発想で、日本語、 英語、タガログ語と、3ケ国の言葉を話せる、先輩の能力に着目し、採用
したとおっしゃった。先輩は、「コンプレックスだった言語力が、武器に なることに気付くことができた。」と話してくれた。 入学式では、校長先生が「未見の我」について語ってくださった。誰に でも、自分にも気づかない素質がある。それを見出され、それを生かし、 生かされていく。それが人生か。「埋もれたままの素質、僕には何がある のだろう。」きっと、それを探し出す旅が、高校4年間なのだ。入学早々、 「柔道を通して、中学の監督は君に何を教えようとしたのか」と問われた。 答えが浮かばなかった。僕の心は凍りついていて、その時には、まだ、他 人の思いを推し量る余裕などなかった。 先日、父に、この生活体験文が代表に選ばれたことを伝えた。「凄い じゃないか」と褒めてくれた。とても嬉しかった。二人暮らしである。静 かな性格の父は、ダラダラしていた頃の僕をそっと見守ってくれた。怒ら れたりすれば、潰れそうだった僕。見放すのでもない、諦めるのでもない、 寄り添い続けてくれた父。それがどれほど愛情深いことだったか。当時が 思い浮かんだ。父の深いシワを見たら、思わず熱いものが込み上げてきた。 今回、クラスの皆が拍手で送り出してくれた。失敗ばかりだったこれま での僕、何事もやり続けられなかったこの僕が、推されて、発表の機会を 与えられた。「ありがとうございます。」この経験が、僕を成長させてく れた。どん底を経験した僕が、人の思いを素直に受け入れ、謙虚に感謝で きる気持ちを持てた。人間としての原点に立ち戻れたと確信した。 大会を前に、担任の先生は話された。「この学校に来て、いろいろな人 の情に救われ、さまざまなご縁をいただいた。そうして、初めてわかった んだよ。自分の天職は定時制教育だったんだ。」と。 長い人生、何かやっていける気持ちになってきた。僕の天職が何である か、今は見当もつかない。世間の評価など気にしなくていい。眠ったまま の素質、それが何であってもいい。それを生かし、社会的使命を得、僕が 生かされていく。願いはそれだけである。未だ見ぬ僕には、僕なりに、相 応しい人生があり、任務があり、運命がある。そう信じている。僕の担任 の先生がそうであったように! まずは、「ただ漠然と生活するのではなく、本気になって生きてみよ う。」大きな目標が見えてきた。「精一杯の積み重ねの中で、自分のスキ ルを伸ばしていこう。」 僕の心に春がきた。転機は高校入学、そう……あの入学式から始まって いる。「オール1」で始まった僕の人生に、「サクラサク」ような気がし てきた。