2019.08.14

小林グランドの生い立ち


昭和28年 浜名高校野球部は甲子園一歩手前まで迫っていた。高校野球静岡県大会で静岡商業と決勝戦を戦うも準優勝に甘んじた
当時は山静(さんせい)大会勝者に甲子園出場が与えられた。県大会2位で山静大会に臨み、決勝戦は県大会と同じ静商であったが善戦虚しく準優勝に終わった。(写真は準優勝の記録)

当時の浜名高校は貴布祢(現在の文化センター)にあり、野球グランドを保有していなく、6km離れた岡田ゴムグラウンド(現在の矢崎エナジー)を使用していた。

野球部員ならずもグラウンドを切に希望していた。

小林駅近くに5000坪の工場跡地があると聴き、北浜町と浜名高校関係者が奔走し、昭和29年北浜町総合グランド建設、同時に浜名高校の優先的使用が成立した。

昭和49年7月7日浜北に多大な被害を与えた台風8号(七夕豪雨)は、小林地区に雨水貯水池の必要性を求められ、当時の足立浜北市長から浜名高校に申し入れがあった。協議の結果、野球、サッカーの出来る最高の施設をつくり、浜名高校が優先的に使用する事が認められ、現在の小林グランドが誕生した。(写真は今年7月の台風一過、冠水した小林グランド)

この記事は渥美光一先輩から、お聞きしたものです。
浜名高校には様々な歴史と、多くの関係者の努力があった事を、私達は忘れてはいけません。