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定時制始業式
平成三十一年度 始業式式辞(H31.4.9)定時制
改めて、みなさんこんにちは。はじめに自己紹介をさせてもらいます。
前の加藤校長先生を引き継いで、校長として着任をした三科真弓です。
もう30年ほど前になりますが、20代のころ、定時制の高校に勤めていたことがあります。浜名高校への異動が決まったとき、働きながら、あるいは、いろいろなことに悩みながら、卒業を目指してがんばっていた、当時の定時制高校に勤めていたころの生徒の姿や、今でも元気な便りをくれる卒業生の姿を思いながら、今日、みなさんと出会えることを楽しみにしてきました。この浜名高校でも、みなさんの学校生活が充実するよう、先生方ともに力を合わせて努めていきたいと思っています。よろしくお願いいたします。
さて、今日から、新しい年度である平成31年度、そして5月からの令和元年度が始まります。
それを迎える春休み、みなさんはどのように過ごしていたでしょうか。そして、今日から再び始まる学校生活を、どのようにスタートさせたいと考えているでしょうか。
スタート、出発について、こんな話を聞いたことがあります。「0からの出発」と「1からの出発」の違いについてです。「0から」と「1から」、同じように聞こえるかもしれないけれど、実は大きな違いがある。「0からの出発」には、土台(基礎)がない、手がかりがない、経験がない。それに対して、「1からの出発」には、土台、手がかりがある。慣れがある。一歩、すでに踏み出している。また、多少なりとも、自信がついている。どんなときに失敗するかもわかっている。この違いは実は大変大きいという話です。 みなさんには、すでに1年、2年、あるいは3年と自分で踏み固めた土台があります。ぜひ、入学した日の気持ちや決意を思い出しながら、その自分が築きあげてきた土台、手がかり、自信をもとに、この1年を充実した年にしてほしいと思います。また、0からの出発となる1年生の手本になってほしいと思います。
そんなみなさんに、今日は、期待をこめて、私の好きな言葉である、「未見の我」という言葉を送ります。未来の未、見るの見と書く「未見の我」という言葉です。意味は、「いまだ見たことのない自分」「自分が知らない自分」という意味です。この「未見の我」、今年は「平成」から「令和」へと変わっていきますが、150年くらいまえ、日本が江戸時代から明治時代へと動いていったころ、江戸時代の終わりの幕末の動乱期ですね。長州藩士、今の山口県ですが、その藩士で松下村塾という塾を開いた吉田松陰という人が、後に明治維新で重要な働きをし、新しい時代を作っていった自分の弟子たちに言ったというのが、この「未見の我」という言葉です。「いまだ見たことのなかった自分を目指しなさい。心は熱く、本気でやってみなさい。必ず達成します。運命を作りなさい。」との内容であったと伝えられています。言い換えると、毎日をなんとなく過ごすのでは「未見の我」に気付くことはできない。「未見の我」に気付くためには、何かに本気で取り組み、外からの刺激に触れて、自分自身を見つめ直さなければならない。本気で取り組むときにこそ、自分の中に眠っている才能が発揮される。成功であれ、失敗であれ、未だ見ぬ自分に出会えたときに、人は感動し成長することができる、という意味だと解釈されています。つまり、挑戦することで新しい自分が見えてくる、成長できるということです。
みなさんには、いろいろな可能性があるはずです。一人一人が自分でも気づかない素晴らしい能力や個性、いいところを持っています。皆さんには、そんな自分に自分自身で出会ってほしい。出会うために、校訓である「志はるかなれこそ 若き日をかくこそ惜しめ」のとおり、目標を持って、高校生活という限られたときを大切に過ごしてほしいと思っています。
「平成」から「令和」につながる、新しい時代を生き、活躍すべきみなさんです。これまでの土台をもとに、目標をもち、継続していろいろなことに取り組み、努力する、そして、友人や先生方としっかりかかわることで、いい1年にしてほしい。そして、「いまだ見たことのない自分」である「未見の我」に出会ってほしいと思います。
平成31年度から令和元年度へと続くこの1年が、みなさんにとって成長のいい1年になることを願って、始業式の言葉といたします。がんばってください。終わります。
平成三十一年四月九日
静岡県立浜名高等学校
校 長 三 科 真 弓