2018.11.26

久米一正さん死去


J1清水のゼネラルマネジャー(GM)を務める久米一正(くめ・かずまさ)氏が23日午後11時3分に大腸がんのため死去した。63歳だった。静岡県浜松市出身。24日にチームが発表した。

 久米GMは、浜名高、中大を経て1978年4月に日立製作所へ入社。91年6月に日本サッカー協会へ出向して日本サッカーリーグ(JSL)事務局長などを務め、94年4月に柏へ出向し、取締役強化本部長などを務めて2002年12月に退社した。翌03年2月に清水入り。強化育成本部長、常務などを歴任して07年12月に退社した。08年2月に名古屋のGMに就任すると10年にはクラブ初のリーグ優勝。15年4月に社長に就任したが、クラブ初のJ2降格を受けて16年11月に退任していた。18年元日付で清水に11年ぶりに復帰しGMを務めていた。清水は今季はここまで勝ち点47の7位。

 前日本代表監督の西野朗氏とは、同じ55年生まれで高校、大学時代は対戦相手として戦い78年からは日立製作所サッカー部でチームメート。柏と名古屋では強化本部長、GMとして支えてきた。

清水・左伴繁雄社長の弔辞 今シーズン当初よりGMとして、短い期間ではありましたが、トップチームの強化を中心に持ち前のバイタリティとサッカー界随一のキャリアを持って、大車輪の活躍をされていただけに、その結果を見届けることなく逝かれてしまったことは、エスパルスを預かる立場としても、また同期としても残念でなりません。最後までチームや会社を思うばかりに、ご自身の病を伏せ、面会を断り続け、今シーズンの成果を常々望んでおりました。今後は、故人の意思を汲み、今シーズン残り2試合はもとより、強いエスパルスの復権に向けて取り組んで参る所存です。エスパルスのみならず、日本サッカー界の発展に尽力されてきたことに敬意を表し、改めまして故人のご冥福をお祈り申し上げます。

久米氏は、選手として、浜名高校や中央大学、柏レイソルの前身である日立製作所サッカー部で活躍されました。現役引退後は、日立製作所での業務やサッカー部の運営、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)の創設にも深く携わられました。
 柏レイソルの草創期には、強化本部長、ゼネラルマネージャーなどを歴任され、1999年Jリーグヤマザキナビスコカップ(当時、現YBCルヴァンカップ)でのクラブ史上初のタイトル獲得など、大きなご尽力をいただきました。その後も、清水エスパルスや名古屋グランパス、Jリーグでも要職を務められ、日本サッカー界の第一線で活躍を続けられておりました。
 これまでの多大なご功績に感謝と敬意を申し上げるとともに、心からご冥福をお祈り申し上げます。
株式会社 日立柏レイソル 代表取締役社長
瀧川 龍一郎

柏で強化チームダイレクターを務める下平隆宏氏(46)が久米氏の死を悼んだ。90年に自身がチームの前身である日立製作所サッカー部に入部した当時、久米氏は渉外担当マネジャーを務めており、それ以来の付き合い。「人情派でずっと面倒を見てもらった」といい、「現役時代はプレーをよく褒めてくれたし、言葉をかけられると自信になった。心からご冥福をお祈り申し上げます」と沈痛な表情で語った。

久米一正様のご逝去を悼み、謹んでお悔やみ申し上げます。
ご生前は日本サッカー界発展のためにご尽力され、名古屋グランパスにおいても、GMとしてクラブ初のリーグ優勝へ導くなど、クラブに輝かしい歴史を刻んでくださいました。
また、2015年からは代表取締役社長として、クラブの発展に多大な功績を残されました。
私たちは久米様が築いてこられたクラブの歴史を継承し、これからも「町いちばん」のクラブを目指し歩んでまいります。
あらためまして、久米様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
株式会社名古屋グランパスエイト
代表取締役社長 小西工己

日本代表の主将を務めるDF吉田麻也(30=サウサンプトン)が25日、久米一正氏を悼んだ。自身のSNSを更新。「3月にお会いした時に“オフにまた必ず会おう”と言われたのにバタバタして連絡できず会えなかったのが本当に心残り」。 吉田は07年に名古屋U―18からトップチームに昇格。08年から久米氏が名古屋GMに就任した。10年にVVVフェンロ(オランダ)に移籍した後も、自主トレなどで名古屋の練習施設を貸してもらっており交流は続いた。「たくさん教えてくれ、たくさん助けていただきました。感謝しかないです。久米爺、心よりご冥福お祈り申し上げます」。親しみを込めて、吉田は故人をしのんだ。

岡崎慎司(32=レスター)が久米一正氏の冥福を祈った。
突然の訃報に「正直何も考えれなかったです。僕がエスパルスとサインをするときに久米さんは、自分を父親だと思ってと言ってくれました。自分をエスパルスに迎え入れてくれた久米さんへの感謝を一生忘れません。そして日本サッカーへの貢献も。久米さん本当にお疲れ様でした」とつづった。  岡崎が清水でプロ入りした時の強化責任者が久米氏だった