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つながる五輪物語 静岡県内聖火ランナー
2013/9/10 静岡新聞
56年ぶりに日本で夏季五輪が開催される。前回の東京五輪は戦後復興の象徴として国民に夢と希望を与えた。五輪は競技者だけのものではない。市民にとっての「五輪物語」を追った。
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聖火をともしたトーチはずっしりと重かった。見上げれば秋晴れの空。
普段は畑の風景が広がる国道1号沿いは、日の丸の小旗を手にした市民であふれていた。
身に着けたユニホームの胸には五輪のマーク。「とにかく無事に走り切らなければ」。
緊張感で顔をこわばらせたまま、ゆっくりと先を目指した。
磐田市の山岡(旧姓高橋)次郎さん(71)は1964年10月3日、東京五輪の聖火ランナーとして浜松市内を走った。
当時は浜名高陸上部の主将。終戦の5日後に生まれた点も注目され、白羽の矢が立った。
任されたのは篠原中―遠州製作(現エンシュウ)の約2キロ。貴重な体験は「無我夢中であっという間。情景はほとんど記憶がない」と笑って振り返る。「ただ、沿道の声援がすごかったのは鮮明に覚えている」
県体育協会発行の県体育・スポーツ史によると県内の聖火リレーは114区間185・1キロ。
各競技団体や学校から編成されたリレー隊計2622人が引き継ぎ、180万人の県民が沿道で出迎えたと記されている。
前回の東京五輪は戦後の高度経済成長期と重なった。新幹線、カラーテレビ、自家用車…新たなインフラや製品が次々と登場し、社会は大きく変革した。「初めて体験する五輪に国全体が沸き立っていた」。
あれから半世紀。市民を熱狂させた五輪が再び東京に帰ってくる。山岡さんは、開催決定の瞬間をテレビの生中継で目にした。
「すごいことだ―。」「感動で胸がじーんとした。」「また日本が活気づいてほしい」と五輪効果の再来に期待を寄せる。