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<第二回> 授業あれこれ
※浜名高校発足当時の写真、統合のためさまざまな制服が着用
されている。(中央は富永先生)
教師の見た揺籠期の浜名高校:中村 昭
世の中は戦後の混乱から、まだ抜け出ていなかった。それでも原爆
に打ちのめされた広島の悲惨な学生生活よりましであった。
私は数学には、いささか自信があった。また教育という職にも興味を
持っていた。
就職のお祝いに母がスーツを二着新調してくれた。一つはフォーマル
なもので、もう一つはカジュアルタイプのものだった。
生徒の制服はあまり記憶にない。月給がいくらだったかも憶えていな
いが、一万円はなかったと思う。
赴任して間もなく私のための職員歓迎会が学校近くの貴布祢の或る
料理屋であった。酒の飲み方も知らないピカピカの新任教師は、す
すめられるままに酔い果ててダウンしてしまった。
新任の私はクラス担当がなかったが、授業は旧制度の女学校5年の
「解析I 」(?)と3年生の「数学」のように記憶しているが、課目の正式
名は定かでない。歳の差の殆どない生徒に数学を教えるのは楽しか
った。
「順列・組み合わせ」の授業で、俳句などどうせ有限個の順列である
から、数学的には、たいした問題にはならない! 等と教科書から離れ
た内容を時に脱線する事もあった。
この話題は、国語好きの生徒にはかなりショックを与えたようで、数
十年後のこのクラスの同窓会でも木俣さんからこの話を聞いた。
しかし、これは私の間違いであった事が最近わかった。
現在、私の専門のcomputer scienceに関する研究は、この問題に
その核心があるからである。それは、有限個でも(コンピュータでは)
到達できない数が存在するかどうかはノーベル賞が確実の貰える程
の現代の難問である。
(computer science の分野には、ノーベル賞はないが、それに匹敵
するチューリング賞がある。)
世界中の学者が、しのぎを削って競っている超難問である。
ついでに、人間が生まれてから死ぬまでは“秒”にして、12!秒と
チョットである。われわれは 13!(階乗)秒は生存できない。
つづく