2012.04.22

<第八回> 私のなかの浜名高校

教師の見た揺籃期の浜名高校:中村 昭

<第八回> 私のなかの浜名高校

在職1年余りが経って、世の中も次第に落ち着いてきた。この頃
から教育というより研究者となってもっと勉学したいという意欲が
強くなってきた。

それで 大学(旧制)を受験する計画を進めた。

旧制大学の学生募集はこの年が最後であるというのも理由の一
つになっている。
(この年度から全国に現行の(新制の)大学が発足した。)この計
画は首尾よく実現し、進学するために、急に2年で職を辞すことに
なった。

突然の辞職でどんな挨拶をしたかは記憶から消えている。

人生には、数学でいう背理法(“もし….ならば…”という論法)は通
用しない。

人生に繰り返しはない。私のhistory(歴史)は、いまや最終章には
いっている。

とにかく楽しい(enjoyable)浜名高校在職2年であった。それは、
わたしのhistoryの重要なchapter(章)を占めている。

高校第一回の卒業生は、81歳を数えるらしい。この回想は、そん
な昔の浜名高校揺籃期に在職した一教師の断片的思い出の記録
である。卒業生に何か参考になる事があれば、大変嬉しい。

浜名高校100周年おめでとう。益々の前進と発展を!  

(2012年3月14日 記) 

                    なかむら あきら

                    広島大学名誉教授・理学博士

<浜名高校大同窓会より>

浜名高校の揺籃期(ようらんき=ゆりかご)に私たちの浜名高校
の旧校舎貴布祢校舎で教鞭をとられた中村先生よりご連絡をい
ただき、私たちはこの連載の原稿をお願いしました。

浜名高校創立100周年にあたり、いただいたメールを抜粋させて
いただき紹介し、ご厚意を同窓生と共有したいと思います。

Webで浜名高校100周年記念の記事を見ました。
おめでとうございます。
私は高校第1回(昭和23年)から2年間在職した職員です。当時
20歳で就職し数学を教えていました。といっても、正式の高校教
員免許を持ってました。

戦前・戦中の思想から戦後の新しい私の人生観を育てくれた教員
生活でした。2年間で辞し、大学(旧制)に進学しました。
爾後、1991年に広島大学を定年退職(現在同名誉教授)、1998
年明治大学を定年退職し、現在広島に在住しています。

約60年前の浜名高校の思い出(教員の立場から)を記事にして頂
ければ喜んで寄稿いたします。当時の運動クラブの写真もあります。
ご配慮の程よろしく願いします。

中村 昭

中村先生から私たちに他にも原稿をいただいています。
大同窓会のイベントテーマは「100人の恩師と語る100周年」となった
ことからも、先駆けて中村先生にお教えいただいた浜名高校揺籃期
の様子は私たちの宝物となりました。

あらためて中村先生に感謝いたします。