2012.04.14

<第4回> 点数をつける事

※中村先生のご赴任当時の初代校長・二代校長(90周年記
念誌より転載)

教師の見た揺籃期の浜名高校:中村 昭

<第4回> 点数をつける事

2年目に高校に定時制が開設された。昼間仕事を持っている人
を対象に、高校課程を夜間に開講して高校卒業資格を与えよう
とするものである。

その中には、私より歳の多い人が数人おった。

昔の中学校(旧制)の同級生横井君が志望の相談に来た時は
ビックリした。戦後の時代の変化を実感した。
私どもの世代には、中学(旧制)を卒業しないで、海軍、陸軍を
志願するものが多かった。横井君もその一人だったのかもしれ
ない。

定時制の夜の授業を終えて、すべての電灯が消された木造の
校舎は、独特の雰囲気に包まれる。昼間を「表」の世界とすれば
、それは「裏」の世界である。
ましてや、消燈後の女子校の教室・廊下は昼間の喧騒とは別の
様相をみせる。定時制の授業があった夜は、宿直室に泊まった。

先生という職には生徒に点数をつけないといけない仕事がある。
(もっとも、最近は、大学の先生は学生に点数をつけられるが。)
いわゆる評価(evaluation)問題である。
これは、楽しい仕事ではない。

戦後 まもない頃の事で、アメリカ政府の教育政策にしたがって、
安易な統計理論に基づく5段階評価がなされたように憶えている
が、私は教育的立場からこの基準をしばしば守らなかった。

全員に、できるだけ良い点数を与えた。この事に関して教務主任
の先生から咎められた事もなかった。夏休みに校長から、この評
価問題の県主催のworkshop(勉強会?)に参加して研究するよ
うにいわれて出席したが、あまり勉強はしなかった。

このworkshopとういのもそのとき始めて遭遇した英単語であった。
いまでこそ、巷にはカタカナが、あたかも日本語のように氾濫してい
るが。

後で私は大学に勤めるわけであるが、学生の単位認定にはいつも
悩まされる。私の単位がとれなくて、留年という事態もあった。
一定のレベルに到達しなければ、落第という原則を維持するため、
スポーツ推薦で入ってきた学生には、別仕立ての授業を親切丁寧
にして後押しした事もある。

彼らには勉強の時間に制限がある。国立大学(広島大学)を定年で
辞した後の、明治大学在職中でのこの仕事は、特別な負担とは思わ
なかったが…。 

因みに明大では私のゼミには、剣道部、ヨット部、バスケット部、馬術
部等などのスポーツ推薦の学生が多かった。

つづく