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27回生 水野(旧姓市川)和子 京都たち吉デザイナー
高校時代といえば四十年前になるのだと改めて思う。
当時の友人と電話などで話しをすれば女学生のままみたいな事
はよくある。
私は中が次代にデザインの道に進みたいと考え出していたので
高校の三年間は卒業が待ち遠しかった。
とはいうものの、友達となにやらいつも笑い、楽しんでいた気
がする。
そして無試験の東京デザイナー学院へ当然ストレートで入った。
当時、カタカナ職業に憧れて上京して帰ってくる若者の話しを
よく耳にしていた。
そんなまわりの反対は私の意志を強く固くした。
待ちに待った十八の春、東京暮らしがスタートした。
学生とバイト生活の両立は時間的に厳しかったが、苦しいと思
った事はない。同じような人間が東京には沢山いた。
そして二年、卒業も近くなった頃仕事を紹介され決まった。
晴れて念願のデザイナーという職業に就く事ができた。
本当の試練というか、遊びではない仕事がはじまる。
元来、好奇心旺盛な私は全てが新鮮に写る。そして貪欲で一箇
所に留まる事が出来ず、京都、名古屋とデザイン畑を渡り歩い
た。
数々の経験と交流は自分の中で光るビー玉ぐらいには輝き、悔
いなき青春になっている。
名古屋で仕事をしていた時に、週末通った美術研究所で結婚相
手と出会う。
三人の子供の親となり子育てを選んだ。
一生仕事をしたいと言っていたのに四年前、幼馴染で高校まで
一緒だった友達が乳ガンで亡くなるという訃報が入った。
東京へ行く私に「輝く永島の星になれよ(海援隊の歌より)」
とメッセージをくれた彼女。
健康の大切さを感じる。
五十五歳の今、感謝の気持ちを、そして好奇心を失うことなく、
日々過ごしてゆきたいと思う。
最近は月に一度、デザイン学校時代のカルトンを抱えてクロ
ッキーし、デッサン会などに通っている。
「胸ふくらませた青春よ永遠に」